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From on the road

「車に乗って人々から別れ去って行くときのあの気持ち,人々の姿が平原の上にしだいに小さくなり,やがて小さな点となって消えて行くときあの気持ち,あれはいったい何なのだろう.それは,あまりにも巨大な世界がわれわれを跳び越えていくこと,つまり,それが訣別というものなのだ.しかし,ぼくらは大空の下を次の気狂いじみた冒険に向って乗り出して行くのだ.」(ON THE ROAD/Jack Kerouac,chapter2section8)
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自転車で路上を巡った記録.路上からの風景の記録.記憶の中で移動する視点.
Logs for travelling on the road with bikes. Photos of landscapes on the road. Points of veiw moving in the memories.
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9
Nov
パンクが世間に現れたとき、大人は「あんな稚拙なものは音楽ですらない」と言った。
テクノポップが世間に現れたとき、大人は「あんな血の通っていないものは音楽ですらない」と言った。
クラブミュージックとしてのテクノが世間に現れたとき、大人は「繰り返しだけでメロディーもない、これは音楽ですらない」と言った。
小学生が書いたかのように稚拙な文章。 ただ泣かせる為だけに考えうるだけの不幸を並べ立てた不感症のような展開。 どの本もセックスとレイプと病死が判で押したように繰り返される構造。
そうなのだ。これは紛れもなく文学のニューウェーヴなのだ。 ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 - Aerodynamik - 航空力学

発想には感心するけど,同感できないな.
音楽や絵画などの五感を使って直接感じるような芸術と,その意味を頭脳で一咀嚼してからじゃないと理解することすらできない文学を同列に語るのは無理がある(ただし,書道などの文字を使ったアートは除く).両者では,人間の中での処理方法が全く違うので,結果として,対象物に対する感動や評価が決定される道筋が異なるから.
つまり,音楽や絵画は,より感覚的であるの対し,文学はより解釈的.文学は記述された文章の内容を理解しないとはじまらないものだから,その文章そのものの質やストーリー・プロットによって評価されるのは間違いない.紙に印刷された状態より,ケータイのディスプレイに映し出されることによって新しい感慨を生み出すとも思えない.
パンクは最初は稚拙なものと捉えられたのかもしれないけど,そのスピリット的なものの音楽への表出やら純粋に音楽的な荒々しさやスピード感などが評価された.それに対し,小説というのは,さっき考えたようにどう考えても文章の質やストーリー展開以外の評価軸を思いつけない.早く読めるからスピード感があるなんてことはないだろうし. - ontheroad
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