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From on the road

「車に乗って人々から別れ去って行くときのあの気持ち,人々の姿が平原の上にしだいに小さくなり,やがて小さな点となって消えて行くときあの気持ち,あれはいったい何なのだろう.それは,あまりにも巨大な世界がわれわれを跳び越えていくこと,つまり,それが訣別というものなのだ.しかし,ぼくらは大空の下を次の気狂いじみた冒険に向って乗り出して行くのだ.」(ON THE ROAD/Jack Kerouac,chapter2section8)
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自転車で路上を巡った記録.路上からの風景の記録.記憶の中で移動する視点.
Logs for travelling on the road with bikes. Photos of landscapes on the road. Points of veiw moving in the memories.
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4
Nov

トヨタだったか、彼らは「なぜ?」を5回繰り返すという。徹底的に考えて、カイゼンを進めていく。この徹底した態度は重要だ。しかしこれとはまた異なる、デザイナーの考え方が好きだ。彼らは、「なぜ?」から入っていって、最後は「もし~だったら」で出てくる。

冒頭のジョークでいうと、無重力状態でボールペンが書けないというところで「なぜ?」がはじまる。このまま「なぜ?」を繰り返すと、インクが無重力では機能しない、というところへ行き、そこからインクの液体としての特性がどうのこうの、という方面に解決を求めていくのだろう。でも、「なぜ?」を繰り返すと、袋小路に入っていくことがある。どこかで、「もし」を使わないといけない。「もし、ペンでなくてもよかったとしたら」。

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なぜなぜ解析というのは、あくまでもひとつのツールであり、目的は真因を見つけそれに対処すること。対象となる物事のことをより知っており、その上、センスのある人ならなぜなぜを経なくてもまっすぐに真因に辿りつける場合もあり、反対に不慣れな人や勘の鈍い人がなぜなぜ解析で袋小路に入りこむ可能性は捨てきれない。
ボールペンの例で言うと、なぜ宇宙でポールペンが書けないか→インクが出ないから→インクにペン先に押し出されるための力がかからないから→無重力だから、となり、それに対処するには、”遠心力などで重力を生み出す”、”インクを強制的に押し出す構造にする”、”インクを使わない筆記用具を使う”などという解答が導き出される。だから”もし”がなくても解答は得られる。
ここで”鉛筆を使えばいいじゃない”なんて普通に思いつくだろう、というのはその通りだが、今回の例のような純粋に技術的な問題なら直感(直感=”もし”手法)でも解が導き出せかつその結果の正否もはっきりするが、要因にヒューマンエラーや仕組みのまずさなどが絡んでくると、状況が複雑になってくるので直感では解がでないばかりか、ひとつでない場合が多い。そういうケースにおいては、様々な観点から漏れなく解析を行うなぜなぜ解析は有効である。

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